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政治的公平性とは?

  政治的公平性とは一体どういうことなのでしょうか。政権を喜ばせるような報道、政権に寄り添う報道が、決して政治的に公平であるとは言えないのだと思います。

 逆に、政府の見解ばかりを長時間に渡って繰り返し放送するようなテレビ局も、処罰の対象にしなければ、政治的公平性は担保できないのではないでしょうか。

 また、多くの番組が政権の意向に沿った報道ばかりしているならば、TBSやテレビ朝日のように政府の批判ばかりをするテレビ局があって、初めて政治的公平性が確保されるとも言えるように思うのですがどうでしょうか。

 
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権力批判の急先鋒のキャスターが次々と降板に

 今年は、NHK『ニュースウォッチ9』の大越健介氏、『報道ステーション』の古舘伊知郎氏、『NEWS23』の岸井成格氏が降板することになりました。

 これで安全保障に関して政府に批判的な急先鋒のキャスター全員が、毎日のニュースからいなくなるということになるのだと思います。

 岸井氏に関しては、「放送法遵守を求める視聴者の会」という団体が、岸井氏を非難する内容の広告を産経新聞と読売新聞に掲載したことがきっかけだったのだと思います。

 木村草太准教授は、報道ステーションの中で『法律は過去からのメッセージ』と発言していましたが、放送法は、戦争中に報道が権力の顔色を伺いすぎて、政府を批判したり、戦争の本当の情報を国民に伝えることができずに、戦争が泥沼化していってしまったことの反省から生まれたと言われていて、公平、政治的中立というのは、権力側に傾倒した報道ばかりにならないように、報道の自由を確保するために作られたものだと聞いています。それが逆に権力を批判するメディアを規制するために利用されるというのは、ちょっと私には理解できません。

 政府を肯定することが中立公平な放送で、政府を批判することが中立公平を欠いた放送という定義自体が、他の先進国から見ると、『日本は前世紀に戻っていくのか』と笑われてしまっても仕方がないのだと思います。さすが報道の自由度があの韓国よりも下であるということも頷けます。

 本来、報道の自由や表現の自由は、憲法で保証された権利であって、しかも放送法が、戦前の反省から生まれたものだとすると、TBSも、岸田氏を降板させる必要はなかったのだと思います。しかし安部総理は、最高法規である憲法ですら、内閣法制局長を、自分の息のかかった人物にすることで、その解釈をいとも簡単に変えてしまいました。

 公平公正な報道がなされていないということでTBSに行政処分がくだった場合、不服申し立てを司法にしても、その司法の人事を安部総理が自分の息のかかった人間にすれば、その申し立てが通ることはまずないので、行政処分がひっくり返ることはないのだと思います。

 先日、福井地裁が高浜原発再稼働の差し止めを命じた仮処分決定を取り消しましたが、これも裁判官が代わることで全く反対の判決が出たもので、行政と司法の癒着が疑われています。

 司法が権力に有利な判決しか出さなくなれば、TBSも、もう何をどう報道してもいいという状況ではないと腹をくくり、岸田氏の降板を決定せざるを得なかったのだと思います。

 民主主義の根幹は、三権分立であって、国会を最高権力機関にすることで成り立つのですが、今は、行政が他の二権を圧倒してしまい、司法の独立は完全に失われてしまったのだと思います。

 司法の独立が失われることで報道の自由や表現の自由は著しく損なわれ、今の日本は、民主主義ではなく、報道に関して言えば、ほぼ全体主義の時代に戻ってしまっていると言えるのだと思います。

 本来であれば、権力がこのような暴走をすれば、国民が選挙で鉄槌を下せば済むことなのですが、日本は元々『与えられた民主主義の国』と言われていて、国民が自らの手で勝ち取った民主主義ではないために、自らの権利を守る意識もなければ、民主主義がどのようなシステムで、どのように守っていくかも理解している人が少ないと言えるのだと思います。

 日本は『経済は一流、政治は三流』と言われていますが、その国の政治のレベルは、国民のレベルが反映されると言われています。それは日本国民が政治に関しては三流であるということなのだと思います。

 絶対的な権力は絶対的に腐敗します。権力に迎合すれば、権力は無限に増長し、国民の権利を根こそぎ奪っていきます。

 ブッシュ大統領が、フセイン政権の打倒のためにイラク戦争を始めた時には、ほとんどのアメリカ人がブッシュ大統領を支持しました。その結果は、フセイン政権の時よりもはるかに多くのイラク人が命を落とし、数千人もの米軍兵が犠牲となり、防衛費が天文学的な額に増大し、米軍の撤退に伴い生じた混乱から、ISという巨大テロリスト集団を生み出してしまいました。権力は潤い続ける一方で、そのつけは全てアメリカ国民に回ってきています。

 権力に迎合した結果が、このような理不尽な結果になるという極めて身近な歴史の教訓なのだと思います。

 日本人の多くが、歴史や先人の知恵に学んで、権力の暴走を止めることができることを心から望んでいます。

 古舘伊知郎氏の報道ステーション降板に関して

 古舘伊知郎氏が報道ステーションを降板するということですが、正直裏切られたという気持ちでいっぱいです。

 古舘氏とは、細かいところでは考え方の違いもありましたが、前大戦に対する考え方、安全保障に対する考え方は近いものもありますし、特に消費増税に関しては、私が見ている番組では、古舘氏だけが反対の意向をはっきりと述べていて、頼りになる味方を失ったという喪失感を強く感じます。

 日本は、これから戦前回帰の方向に大きく転換していくおそれは否定できませんし、次の参院選で、与党が勝利するようなことがあれば、、戦後長きにわたって守られてきた憲法が初めて改正されるということが現実味を帯びてきます。

 憲法改正に関する条項が改正されれば、9条のみならず、権力にとって目障りな基本的人権に関する条項の変更も試みられる公算が高いと言わざるを得ないのだと思います。

 中国の拡大主義の動きが今よりも活発化した時に、安全保障の名のもとに憲法改正の発議がなされれば、国民投票でも過半数にいたるおそれは残念ながら否定できません。

 日本の方向性が大きく変わるという時に、古舘氏がいなくなるのは、日本にとって大きな損失になるのかもしれません。

 報道ステーションを降板しても、古舘氏の信念を発信するのはやめないでいただきたいと思います。

 むしろ、公平さを求められるという足かせがなくなることで、遠慮なく発言ができるようになることを期待しています。

「公平な報道」とは?

 公平な報道というのは、非常に難しい問題で、例えば官房長官が声明を発表した際に、客観的にそのことだけを報道したとすると、官房長官に世論操作の意図があった場合には、その行動に報道が加担するこということになるのだと思います。

 例えば一つの事象の正邪を判断する際に、100のうち99が正当とは言えない行動があって、ひとつだけだけ正しい行いをしたという場合に、公平性を保つということでその99と1を同等に扱うことは、決して公平とは言えないのだと思います。

 また、組織として悪意があったとしても、騙された一人のメンバーが正しいことをし続けるということもありうるのだと思います。その騙されたメンバーの行動だけを取り上げてその組織が正しかったといいう報道をすることは、公平な報道とは決して言えないのだと思います。

 物事というのは、全てが悪であったり全てが善であったりといったことは100%なくて、見方を変えたり、時間軸を変えてみることで、いくらでもその評価は変わってくるのだと思います。

 その行動が広範囲にわたり、多くの人間が関わっている場合には、全体像を把握し、評価できる行動と、非難されるべき行動の割合をできる限り正確に割り出し、その割合に従って、善悪双方の事実を報道するということが求められるのだと思います。そのような報道によってのみ、読者や視聴者は物事の正しい実像に迫ることができ、正確な判断が可能になるのだと思います。

 ただし、「絶対的な権力は、絶対的に腐敗する」という例外のない真理がある以上、権力に対しては厳しい態度を絶対に崩してはならないのだと思います。

 権力寄りの報道というのは、ジャーナリズムの「権力の監視」という最も大きな役割を放棄する行為であり、今のように、権力がなんでも数の力で押し切れるような状況の場合には、絶対にとってはならない態度なのだと思います。

 日本が道を誤らないような、国民のためになる「公平な報道」をお願いしたいと思っています。

読売、産経の安保法制報道に「異常すぎる」の声

安部

 安保法制の報道に関しては、NHKのあからさまな安倍政権へのすり寄りが大きな反発を呼んでいますが、同様に、読売新聞、産経新聞への批判も高まっています。

 戦前日本が、絶対に勝てない戦争に頭から突っ込んでいった理由の一つに、マスコミが政府や軍部の批判を一切せずに、事実を隠蔽し、嘘の報道をし続けたという事も一つの大きな原因だったのだと思います。

 今は戦前でもなく、特高警察もなく、全くの平時であるにもかかわらず、マスコミがこのような態度を取ることは、歴史から何も学んでおらず、全く同じ悲劇が繰り返される下地を今から作り始めているとも言えるのだと思います。

 今の状況は、権力からの圧力があったというわけではなく、マスコミ各社のトップによる「自主規制」によるもので、以前に問題になった報道ステーションにおける古賀茂明氏の問題は、政府からの圧力ではなく、安部総理と昵懇の早河 洋会長からの圧力であった可能性が高いのだと思います。

 NHKも読売も産経の偏った報道も、現場の記者やプロデューサーの判断というよりも、経営トップが安部総理と昵懇であるという側面が極めて大きいのだと思います。

 逆に、安部総理と個人的な接触を全くしていないのが、朝日新聞とTBSで、TBSの報道の姿勢は極端で、今回の安保法制に関する報道は、徹底的に批判する立場しかとっていません。高視聴率を誇るサンデーモーニングでもその姿勢は徹底していて、これは菅官房長官が言うところの「放送法違反」と言われても仕方がないような内容なのですが、政府は一切口をつぐんでいます。

 これは、たとえ政府がTBSに対して何らかの処分を下そうとしても、放送局側が司法に訴えれば、報道の自由、言論の自由が憲法で保証されているため、政府が勝つ可能性が100%ないということなのだと思います。そして、放送法が求める報道の公平性は、戦前の反省から、報道が権力側に偏らないために設けられたとの指摘もあります。

 日本は報道の自由度が、ほぼ全体主義とも言っていい韓国よりも低い、61位という恥ずべき状況にあります。その状況を作り出しているのは、権力からの圧力ではなく、権力と結びついたマスコミ各社の自主規制によるものと断言できるのだと思います。

 マスコミは第4の権力と言われています。権力に対抗できる強い力があるという誇りを取り戻して、第二次世界大戦のような悲劇を繰り返さないために、力を尽くしていただきたいと思っています。

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