2018/01/02
世の中には権力や権威に都合がいい情報が溢れている
私は子供の頃から「本に読まれるな」であるとか「自分で考えることが大切」など、情報を鵜呑みにしてはいけないということを口酸っぱく言われてきましたが、その意味がようやく分かってきたように思います。世の中に溢れている情報のほとんどは、権力や権威に都合が良いものばかりで、都合の悪いことは情報として出てきにくく、時には一瞬でバレるほどの嘘の情報が事実のように報道されている例が想像以上に多いことに驚いています。情報を鵜呑みにしてはならないという意味が今ほどはっきりしている時代はないのではないでしょうか。これはメディアの構造的な問題によるもので、どういう意図なのかはわかりませんが、とにかく専門的な知識を持った記者を作らないようにしているため、官僚からの情報がなければコンテンツの制作が不可能であるというのは致命的なのだと思います。政府が公に出す情報、法案など読める人間がいないために官僚からのレクチャーが必要で、そこで官僚による情報操作が簡単にできてしまうということを元財務官僚の高橋洋一教授が指摘していましたし、元経産官僚の岸博幸教授は、政治家は洗脳の対象と語っていました。メディアの記者も洗脳の対象と思っていることは間違いなく、官僚には頭が良くて低姿勢で人の良さそうな顔と、裏の顔があるのは間違いないのだと思います。
私は複数の元の官僚から、メディアの記者のことをペーパーをくれくれとせがむ「ヤギ」と呼んでいるという話を聞いたことがあります。メディアの記者は「ヤギ」と呼ばれることを恥ずかしく思わないのでしょうか。権力の暴走を抑制するという役割を考えても、「第四の権力」としてのプライドを持ってほしいと思います。
海外の報道期間は、大学できちんと専門知識を学んだ学生をその分野の専門記者として採用し、一生その分野の記者として部署を変えることはないと聞いています。従って政府の出す情報の真偽が独自の取材で明らかにできるので、権力と対等に戦えるとのことです。
日本の報道機関も、大学院卒や海外で学位を取得した専門知識を持った人材を積極的に採用したり、政府に批判的であるために退職した元官僚を中途採用したりすることで、政府の出す情報を独自に正確に読み解く能力を身につけるべきなのだと思います。そうなれば他社との差別化も図ることができて業績にも好影響があるでしょうし、なにより国民のためになるように思うのですがどうでしょうか。
情報を受け取る私たちも、まずこの情報は国民のためなのか権力のためのものなのかを考えたり、以前の情報と矛盾はないのか、現実と乖離した結果になっていないか、民間の常識とかけ離れていないかなど、独自に考えチェックをしなければ真実にはたどり着くことができないことが多く、そうしなければ権力の意のままになってしまうのだと思います。
日本には他の国には真似できない超通貨高にも耐えられる経済の強さと、国債の超低金利や通貨の異常な強さが示しているように、他国とは比べ物にならないほどの信用があります。それらのメリットを生かすことができれば超高齢化社会、新興国の更なる台頭があっても明るい未来を築くことは十分に可能であると私は確信しています。一方、国益や国民のためでなく、霞ヶ関が自らの権限拡大や省益ばかりを優先した政治が続けられるようならば、日本に明るい未来が訪れることはないとも思っています。
国民の為の政治は、前進と挫折を繰り返しながら少しづつ進んでいるように思います。国民の現在の生活と明るい未来のために、メディアと私たち一人一人が権力を監視する体制を確実にして、多くの困難を切り開いてゆける強い日本を作り上げる必要があるのではないでしょうか。