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娘への性的暴行に対して無罪判決

 先日、父親による娘への性的暴行に対して無罪判決が下されましたが、これは本当に恥ずかしいことなのだと思います。

 この判決は、親による性的暴行に対して国がお墨付きを与えるもので、このような蛮行を奨励しているとも受け止められかねないのだと思います。

 世界では「#MeToo」運動を始め、女性の政治家の割合を男性と同率にする動きなど女性の人権の徹底的な見直しが強力に進められている中で、日本では女性の基本的人権を著しく損なう行為を奨励していると見られてもおかしくないのだと思います。

 国は弱者の人権を守る義務があります。その義務を放棄し、国際社会における日本の評価を著しく低下させた極めて恥ずべき判決だったと言えるのだと思います。

 控訴審では、日本の威信にかけてもこの父親に対して嚴しい判決が下ることを強く望みます。
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内田元監督のさらなる決断が必要

 内田正人元日大アメフト部監督の問題は、内田氏が日本大学における全ての役職を辞任する以外に解決は有り得ないのだと思います。常務理事の辞任は決定しましたが、他の役職の辞任は発表されておらず、そこからまた台頭してくるおそれもあるのですべての職を辞して日大とは無関係の人間になる必要があるのだと思います。

 日本大学は多くの学生を抱え、就職活動にも影響が及んでいますし、数多くの日大出身者も、会社の内外、取引先との関係に悪影響を与え始めているのではないかと思います。

 内田氏の日頃の行動は犯罪行為に満ち溢れていて今回の問題のみならず、警察が動けば有罪になるであろう事件が数多くあるのだと思います。このような犯罪者のような人間が多くの重要な役職を務める大学の学生であること、出身者であることは本当に恥ずかしいですし、内田氏がいるという理由で日本大学を受験する高校生の数も激減し、経営に大きな影響があるのは間違いないのだと思います。日本大学のみならず日本全国にある付属高校の受験者の減少や、多くのスポーツの有力選手の獲得にも少なからず影響が出てくることも予想されます。

 内田氏がすべての役職から退き、悪質タックルを受けた学生に謝罪し、慰謝料を支払って示談にできれば、加害者である学生も起訴されることもなく、またアメフトの道に戻ることもできるでしょうし、この問題が解決しない限り日大が関東学生アメリカンフットボール連盟に復帰するのも難しいのではないかと思います。

 内田氏がすべての役職から離れ、示談が成立すればすべてが丸く収まり、自身が有罪になることも回避できるのだと思います。加害者学生、日大アメフト部、日大の学生、出身者、日大自体を救うために、遅きに失した感は否めませんが、さらなる決断をしていただきたいと思います。

銃規制について

 ラスベガスで起きた銃乱射事件を見るにつけ、やはり銃規制が必要なのだと思います。しかし、銃規制に反対の人が多いことから、限定的、且つ試験的な規制からはじめることが最も現実的なのではないかと思います。

 たとえば、一般人が購入できる銃はあくまで護身のためであって殺傷力の高い口径の大きなものや自動小銃の販売禁止、一度に購入できる弾薬の制限など、少なくとも大量殺人につながるような銃所持の制限から試験的に始めてみるというのはどうでしょうか。最初は罰則だけでなく殺傷力の高い銃を政府に預けることで税の軽減などのインセンティブを与えるといったことも考えていいように思います。それで銃による殺人が減少すればその規制を恒久化するといったプロセスを踏めばより多くの人が納得するように思います。

 今回はイスラム国の関与は考えにくいと思うのですが、自動小銃を利用したテロが全米で引き起こされる可能性は十分にあるのだと思います。テロ対策の名のもとならば多くの人が納得するのではないでしょうか。

 銃による犠牲者を一人でも減らすため、多くの人が納得できる銃規制が実施されることを心から望んでいます。

薬物犯罪撲滅へ

 ASKA容疑者が二度目の逮捕ということですが、覚せい剤は脳自体をを変えてしまい、抜け出すことは非常に難しくて、覚せい剤を二度としないということが人生の目的になってしまうと言われています。

 初犯の場合には実刑にはまずならないのですが、その理由が、刑務所で更に悪い人間に出会う場合があって、更生につながらないということを聞きました。

 いま犯罪者が増えて、刑務所も余裕がないということを聞きます。そうであるならば、薬物使用の犯罪専門の更生施設を国が新たに設立して、初犯から実刑にして、薬物の恐ろしさを徹底的に教えながら更生に導くということが、今必要になってきているのではないかと思います。

 今の若い人たちはタバコを吸う人が極端に少なくなっていますが、これはタバコを吸うことが無駄であるという意識が強いということもあるのかもしれませんが、ありとあらゆる媒体を使ってタバコの有害性を徹底的に印象づけてきた成果であるとも言えるのだと思います。タバコの有害性を小学校から教えた地域と、そうでない地域では喫煙率に大きな差が出たということを聞いたことがあります。

 覚せい剤の恐ろしさを親や学校が徹底的に教え、テレビ、新聞、ネットを通じて徹底的に知らせていくことも非常に重要なのだと思います。

 薬物使用は、直接的には人に危害を加える犯罪ということではなく、自分の人生を破壊していしまう犯罪であるという認識を持つ必要があると思います。快楽は一時的なもので、中毒が進めば体中を虫が這うような幻覚に襲われて、その苦しみから逃れるために自殺を試みる人も多いと聞いています。メリットをはるかに凌駕するデメリットがあることを子供のうちから教えることで薬物犯罪は今よりも減らすことが必ずできるはずです。

 反社会的勢力の資金源になるという以前に、ひとりひとりの人生を守るために、国を挙げて薬物の犯罪を撲滅していく努力をする必要があるのではないでしょうか。

障害者施設無差別殺人事件と差別

 神奈川県の障害者施設を襲撃し、19人を殺害して26人に重軽傷を負わせた植松聖容疑者が、ヒトラーの思想に傾倒していのは大きなショックでした。

 最近のテロや虐殺事件はすべて差別から生じたものと言っても過言ではないように思います。そして差別の最も究極で、人類の歩みに逆行した最たる例がヒットラーのユダヤ人や障害者の虐殺なのだと覆います。

 世界には、ヒトラーの思想に傾倒する人も大勢いて、日本にも外国人を差別し、弱者をいじめる人も現実にいます。当然この人たちは植松容疑者やヒトラーとは違う人たちだとは思うのですが、私の中では、どこで線を引いていいのか、わかりかねています。

 人を差別するというところでは、本質的には変わりなく、実際にいじめられた人間が死に至るという事例は後を断ちません。

 逆に差別をされた人間が、今世界中でテロリストとなり多くの人が犠牲になっているという現実もあります。

 差別をするエネルギーよりも、差別をされることで生じるエネルギーの方が圧倒的に大きな場合があって、はじめは何も起きないように思っていも、それが次第に大きなエネルギーとなって凄惨な暴力という形となって現れる場合があるのだと思います。そこに人の業や因果というものを強く感じざるを得ません。

 正直に言って、私はちょっと変わっているのか、人を差別する人の気持ちが全くわかりません。

 例えば、中国の人や韓国の人を罵倒する人たちが非常に増えていますが、日本人の方が優れている面も当然ありますが、中国人や韓国人が優れている面も非常に多くあるようにあると思います。特に中国に関しては、国土、人口、最近では学習能力、経済、オリンピックの金メダルの数など、日本の方が優れている点を見つける方が難しくなっているように思います。

 また、中国人の傍若無人な振る舞いは目に余るものがありますが、国際社会から見れば、戦前や戦後、高度経済成長、今でも、日本も同じような目で見られていましたし、欧米では、むしろ中国人よりも日本人の方が嫌いと言われている場合の方が多いように思います。

 中国の人や韓国の人の悪口をたくさん聞きますが、日本人も全員が聖人君子というわけではありません。災害に乗じて詐欺を働いたり、盗みを働いたり、今回の植松容疑者のような無差別殺人を犯す人間もいます。また、子供を虐待して殺してしまう親もたくさんいますが、韓国ではそのような話は一切聞かないそうです。

 やはりどの国にも非常に優れた面もあれば、非難されるべき恥ずかしい面も間違いなくあって、その意味で対等なのだと思います。

 個人にあっては、少し違うところもあって、本当に優れた立派な人もいれば、普通の人、少し能力で劣っている人、犯罪者など様々な人がいますが、だからといって、偉い人が弱い立場の人の人権を蹂躙していいということは決してないのだと思います。

 人類は、文明の進化とともに様々な差別を克服してきました。特に障害のある人達に対しては、欧米では、ハンディキャップがあっても懸命に生きている人は、健常な人よりも尊敬されていると聞いています。日本でも、障害のある人々が頑張っている姿を見て、勇気や希望をもらっている人もたくさんいるのだと思います。

 一方で、人種や肌の色、国、宗教で人を差別するということが一時期よりもエスカレートしている部分は否定できないのだと思います。やはり差別する側よりも差別される側の方がエネルギーが大きく、それが凄惨な暴力につながっている例が激増しているのだと思います。

 私はテロとの戦いで、同盟や武力の行使に反対する気は毛頭なく、「イスラム国」は武力によって壊滅すべきだと強く思っています。

 一方で、差別を克服するということは、人類がこれから存続していく上で、絶対的に必要な歴史の要請なのではないかと思っています。これは倫理的、道徳的というよりも、国や個人の命を守るという安全保障の問題とも言えて、自分や家族、友人を守る上でも必要なことなのではないかと思っています。

 世界中の人々が、差別の心と戦い克服していくことが、テロとの戦いを終わらせる上で、武力の行使以上に大切になるのではないかと私は確信しています。

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