2016/10/09
安倍総理が先月26日、衆議院本会議で所信表明演説を行った際に、自民党議員らが立ち上がって拍手をしたことについて、政府は問題はなかったとする答弁書を閣議決定しました。
確かに画的にはかなりやばい感じの映像になっていましたが、内容を聞いてみれば、安部総理の演説に対して拍手したのではなく、命をかけて日本国民や日本の領土を守ってくださっている、自衛隊の方々、海上保安庁の方々、警察官の方々に対する敬意と感謝の拍手であって、私自身の何の問題もないと思い、ヤフーニュースの投稿欄にその旨を意見したところ、私の意見に反対という人のほうがかなり多くて驚きました。そして、安倍総理の危険性を訴える意見が多く見られたので、『随分と風向きが変わった』ということを感じました。
どうも若い人たちは、日本の軍事力行使の拡大に対しては必要であるという思いはあっても、戦前の日本に戻るといったことには拒絶反応を示しはじめたということが言えるのだと思います。
安部総理に対しては、日本の軍事力を強化し、他国に対しても対等になれるという期待はあっても、左翼的な人達が主張しているような、戦前の日本に戻すといった常識では考えられないようなことはまさか考えていないだろうと思っていたのだと思います。しかし、憲法改正の議論で、自民党の憲法草案の撤回の要求をかたくなに拒否する姿を見て、安倍総理の正体に気づき始めた人が増えてきたのではないかと思います。
自民党の憲法草案は、国民の権利を制限し、国民の義務を規定する内容がいくつもあり、本来権力を縛るという憲法の趣旨とは違った内容になっていて、そこに戦前の思想が所々に散りばめられた内容が話題になっています。
終戦時、日本の権力の中枢を担った人々は、天皇制の維持と国体の護持の二つをどうにかして実現したいという強い思いがあったのですが、まずは天皇制の維持を最優先にして、国体に関しては後から元に戻せばいいという考えにまとまったと言われています。
自民党結党時に自主憲法の制定を党是にしたのは、戦前の国家体制に戻すための自主憲法であることが容易に考えられて、自民党の憲法草案を見てもそれは明らかなのだと思います。
戦前の国家体制は、権力者にとって極めて都合のいいもので、国民は日本の領土拡大のために、財産、自由、命までも捧げる体制で、それに少しでも反抗する者は捉えられ拷問にかけられ、それでも考えが変わらない人は命まで奪われていました。権力者にとっては理想的な体制で、権力者が少しでもこのような体制に戻したいと思うことは、国民が自分たちの為の政治をして欲しいと思うことと全く変わりがなくて、権力者の生存本能、防衛本能に基づいた動きとも言えるのだと思います。
特に安部総理は、戦前の権力の中枢にいた祖父である岸信介氏の影響を強く受けている上に、代々権力者の家系に生まれ、おそらくそれは子々孫々にまで受け継がれていくことが容易に想像できるので、権力者に都合のよい体制に戻しておきたいと望んでいても全く不思議はないのだと思います。
そう考えると、なぜ、戦前の軍部の行動を美化したいのか、靖国神社へのお参りにこれほどまでにこだわるのか、「美しい日本」とはなんなのか、「日本を取り戻す」ということがどういうことなのかわかってくるのだと思います。
「美しい日本」とは、お国のために生き、お国のために死んでいくことを最高価値とした、戦前の日本人が持っていた倫理観、道徳観のことであり、「日本を取り戻す」というのは戦後レジームから脱却し、戦前の国家体制を取り戻すということなのだと思います。
私の考え方が100%正しいとは言いませんが、それが正しいかどうかはあまり問題ではなくて、安倍総理がそのような危険な思想の持ち主であると感じる若者が増え始めたということが重要なのだと思います。
今回の所信表明演説での自民党の国会議員の行動は、それ自体は問題のない行動であったのかもしれませんが、これからの憲法改正の論議に影響を及ぼし、大きく風向きを変えることになる可能性があるのではないかと感じています。