2016/01/29
天皇、皇后両陛下のフィリピンご訪問
フィリピンをご訪問された天皇、皇后両陛下は27日、先の大戦で亡くなった現地の人たちをまつる「無名戦士の墓」で祈りを捧げられました。「先の大戦においては、日米間の熾烈な戦闘が貴国の国内で行われ、この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました」。昨年6月、来日したアキノ大統領を迎えた晩餐会で、天皇陛下はそう言及され、「私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならないこと」と語られました。
フィリピンでは、50万人の日本兵の命が奪われ、フィリピン人は110万人の命が奪われました。その大きな理由の一つには、日本軍は最も重要な兵站の計画を放棄し、すべてを現地調達する方針を取ったために、兵士は十分な食事もできず、ただでさえ食料が不足しているフィリピンの国民から食料を奪うことで、栄養失調から亡くなられた方々も多くいると言われています。
1953年7月キリノ大統領が議会での承認を必要としない特赦で日本人戦犯を釈放、減刑した背景には、冷戦の世界情勢や日本との賠償交渉の行き詰まりなどの理由があると言われていますが、キリノ大統領自身、妻や子供3人、親族を5人日本兵に殺されています。しかし、「ここで憎しみの連鎖を断ち切らなければ、もう一度同じ悲劇が繰り返されてしまう」との思いから、自らの責任だけで特赦に踏み切りました。
このことは恥ずかしながら私は知りませんでしたし、絶対に忘れてはならないことだと思います。本当に立派な人であればあるほど、人から施された恩を忘れないものなのだと思います。日本人の多くがそうであってほしいと私は願います。
戦前の日本の軍部は、本当に恥ずかしい組織で、物量、技術で全く勝ち目のないアメリカに対して、情報戦でも全く話になりませんでした。兵站を無視したのはフィリピンだけではなく、起死回生を目指したインパール作戦でも兵站の計画を立てずに、歴史に残る大敗を喫しました。
戦後70年で日本の政府は変わったのかといえば、行政では官僚の天下りのための政策ばかりが優先され、非合理的で無駄な政策が相変わらず実施されています。東日本大震災でも、緊急時にも関わらず、平時の規制がそのまま適用されたり、復興予算もわけのわからない東北以外の地域で湯水のごとく使われたりで、未だに傷痕が残っているところが多く見られます。原発事故でも、都合の悪いことは隠そうとし、未だに収束とは程遠い状況が続いています。
これでまた日本が戦争ということになれば、戦前よりもひどい状況になることは目に見えていて、その犠牲になるのは我々や、子供たちや孫たちであることを私たちは決して忘れてはならないのだと思います。
歴史を学ぶ目的は、同じ間違いを繰り返さないということが最も大きな目的なのだと思います。
軍部の人たちは、多くの兵士が食事もできずに命を失っている中でも、おいしいものをたらふく食べているというシーンが「天皇の料理番」でもありました。昭和天皇は国民と同等の食事をされて、決して裕福な生活は送られていませんでした。
今上天皇も、物心がついたときには既に戦争が始まっていて、子供の頃からずっとひもじい思いをされていたとお話されていました。そして、終戦直前には、昭和天皇を暗殺するクーデターの首謀者に祭り上げられる寸前だったということです。
その天皇陛下が、先の大戦の悲劇、日本とアメリカの戦いの中で、多くのフィリピンの方々の命が奪われたことを決して忘れてはならないとおっしゃられているわけですから、このことは絶対に忘れてはなりませんし、子供たちにも伝えていかなくてはならないのだと思います。
安部総理は子供たちに背負わせてはいけないと言いますが、私は全く逆で、子供たちを守るために、同じ間違いを繰り返さないために、国際社会の中で恥ずかしい思いをさせないために、前大戦のことはしっかりと後世に伝えるべきだと思っています。
「良薬は口に苦し」と言いますが、耳障りの悪いことでもしっかりと耳を傾けることで、日本の繁栄が守られるということを多くの人に認識していただきたいと思っています。