2016/07/29
障害者施設無差別殺人事件と差別
神奈川県の障害者施設を襲撃し、19人を殺害して26人に重軽傷を負わせた植松聖容疑者が、ヒトラーの思想に傾倒していのは大きなショックでした。最近のテロや虐殺事件はすべて差別から生じたものと言っても過言ではないように思います。そして差別の最も究極で、人類の歩みに逆行した最たる例がヒットラーのユダヤ人や障害者の虐殺なのだと覆います。
世界には、ヒトラーの思想に傾倒する人も大勢いて、日本にも外国人を差別し、弱者をいじめる人も現実にいます。当然この人たちは植松容疑者やヒトラーとは違う人たちだとは思うのですが、私の中では、どこで線を引いていいのか、わかりかねています。
人を差別するというところでは、本質的には変わりなく、実際にいじめられた人間が死に至るという事例は後を断ちません。
逆に差別をされた人間が、今世界中でテロリストとなり多くの人が犠牲になっているという現実もあります。
差別をするエネルギーよりも、差別をされることで生じるエネルギーの方が圧倒的に大きな場合があって、はじめは何も起きないように思っていも、それが次第に大きなエネルギーとなって凄惨な暴力という形となって現れる場合があるのだと思います。そこに人の業や因果というものを強く感じざるを得ません。
正直に言って、私はちょっと変わっているのか、人を差別する人の気持ちが全くわかりません。
例えば、中国の人や韓国の人を罵倒する人たちが非常に増えていますが、日本人の方が優れている面も当然ありますが、中国人や韓国人が優れている面も非常に多くあるようにあると思います。特に中国に関しては、国土、人口、最近では学習能力、経済、オリンピックの金メダルの数など、日本の方が優れている点を見つける方が難しくなっているように思います。
また、中国人の傍若無人な振る舞いは目に余るものがありますが、国際社会から見れば、戦前や戦後、高度経済成長、今でも、日本も同じような目で見られていましたし、欧米では、むしろ中国人よりも日本人の方が嫌いと言われている場合の方が多いように思います。
中国の人や韓国の人の悪口をたくさん聞きますが、日本人も全員が聖人君子というわけではありません。災害に乗じて詐欺を働いたり、盗みを働いたり、今回の植松容疑者のような無差別殺人を犯す人間もいます。また、子供を虐待して殺してしまう親もたくさんいますが、韓国ではそのような話は一切聞かないそうです。
やはりどの国にも非常に優れた面もあれば、非難されるべき恥ずかしい面も間違いなくあって、その意味で対等なのだと思います。
個人にあっては、少し違うところもあって、本当に優れた立派な人もいれば、普通の人、少し能力で劣っている人、犯罪者など様々な人がいますが、だからといって、偉い人が弱い立場の人の人権を蹂躙していいということは決してないのだと思います。
人類は、文明の進化とともに様々な差別を克服してきました。特に障害のある人達に対しては、欧米では、ハンディキャップがあっても懸命に生きている人は、健常な人よりも尊敬されていると聞いています。日本でも、障害のある人々が頑張っている姿を見て、勇気や希望をもらっている人もたくさんいるのだと思います。
一方で、人種や肌の色、国、宗教で人を差別するということが一時期よりもエスカレートしている部分は否定できないのだと思います。やはり差別する側よりも差別される側の方がエネルギーが大きく、それが凄惨な暴力につながっている例が激増しているのだと思います。
私はテロとの戦いで、同盟や武力の行使に反対する気は毛頭なく、「イスラム国」は武力によって壊滅すべきだと強く思っています。
一方で、差別を克服するということは、人類がこれから存続していく上で、絶対的に必要な歴史の要請なのではないかと思っています。これは倫理的、道徳的というよりも、国や個人の命を守るという安全保障の問題とも言えて、自分や家族、友人を守る上でも必要なことなのではないかと思っています。
世界中の人々が、差別の心と戦い克服していくことが、テロとの戦いを終わらせる上で、武力の行使以上に大切になるのではないかと私は確信しています。