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安全保障における情報戦の重要性

 ミサイル攻撃を受けた場合に敵基地に対して反撃することを政府が検討し始めましたが、その情報に触れた中国やロシアがどのように考えるかという視点が大きく欠けているように思います。

 これまで日本を守ってきたのはアメリカであって自衛隊の割合はごくわずかと言っていいのだと思います。アメリカの追随を許さない軍事力、後先を考えない常軌を逸した行動力、莫大な軍事費、戦争の際の国民の結束力は世界随一と言ってよく、中国、ロシアといえども簡単には手を出せないのは当然なのだと思います。

 一方日本の政府、与党、知識人と呼ばれる人達の情報戦に対する認識の甘さは常軌を逸しています。70年間平和であったことから平和ボケも極まってしまっているので仕方がないとは思いますが、それにしてもひどすぎます。ロシア、中国という世界でも屈指の軍事力を持ち、拡張主義を隠そうともしない国が隣国としてありながら、「アメリカはいざとなった時には日本を守らない」といった言葉を普通に公の場で口にする人間が山のようにいて、気が触れているとしか思えません。

 このようなことを口にした上で、本来アメリカの役割である他国への攻撃を最高法規である憲法を無視してまで可能にするということを聞いたときに、中国やロシアはどのように考えるか想像することはないのでしょうか。『やはり多くの日本の要人、知識人が言っているように日米同盟は一枚岩ではなく、アメリカは日本のことを相当軽く見ていて、いざという時にはアメリカは動くことはないのだろう。』と思わせる、かなり強いメッセージになっていることは間違いないのだと思います。中ロにとって怖いのは百戦錬磨のアメリカだけで、70年間戦争もしておらず、戦争において最も重要な情報戦のイロハのイすらわかっていないど素人が、多少軍備を整えたくらいなら楽勝だと思っているに違いありません。
 
 安全保障で最も大切なことは、日本を守ることはアメリカの国益や安全保障にとって極めて重要であるとアメリカに認識させること、そして隣国に日米同盟が一枚岩であることをアピールし続けることで、いざという時にアメリカが日本を守らないなどということは口が裂けても言ってはならないのだと思います。

 中ロが連携したり、どちらかと交戦状態になったとき、他方が漁夫の利を狙ってくることを考えると、日本が一国でこの国を守ることは不可能で、どれだけアメリカに日本の防衛にコミットさせるかが極めて重要なのだと思います。そのために経済的な貢献や、憲法の範囲内での国際協力や軍事協力は必要だと思いますが、度が過ぎれば返って日本の安全保障に大きなマイナスになるということも考えておくべきなのではないでしょうか。
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不安だらけの日本代表

 昨日のゲームは、久保選手がクラブでの活躍通りに初得点できたこと、キャプテンである長谷部選手の代わりに出場した今野選手が得点できたことは収穫でしたが、全体的には不安ばかりが残るゲームだったと思います。

 UAEは、アジアでは珍しく積極的に攻撃してくる国で、そのような国に対してはハリルホジッチ監督が掲げる堅守速攻がハマる国だったのだと思います。W杯予選が終わればW杯までは時間がなくて、堅守速攻を試し、戦術を固めていく上では格好の相手だったのだと思います。昨日のゲームでは、チームとしての明確な意思は感じることができず、欧州で活躍している選手を中心とした地力に頼って勝ったに過ぎず、守備もハリルジャパンらしさは影を潜め、相手の拙攻に助けられたに過ぎなかったのではないかと思います。もしこれがW杯だったならば、おそらく勝てていなかったのではないかと思います。このようなゲームをするのであれば、ハリルホジッチ監督である必要は無く、もっとうまく指揮できる人はたくさんいるのではないでしょうか。

 昨日のゲームでは横へのパスが多く、相手の守備が整う前にシュートをするといったシーンはほぼなくて、かと言ってパスで相手を崩す本来のパスサッカーも見られませんでした。ブラジルW杯のコロンビア戦では、横へのパスはことごとく奪われて、日本サッカーの攻撃が完全に封じられたためにパワープレーに頼るしかありませんでした。その反省から堅守速攻を主戦術とするハリルホジッチ監督に白羽の矢が立ったのだと思いますが、そこを忘れてしまっては、ブラジルの二の舞になるおそれは否定できないのだと思います。

 アジアでは退いて守る国が多く、堅守速攻は全くと言っていいほど意味はありませんが、こちらが得点をして相手が前のめりに攻め込んできた場合には十分に機能しますし、UAEのように積極的に攻めて来る国に対しては極めて有効な戦術なのだと思います。世界のトップレベルの国では退いて守る国はほぼないと言ってよく、堅守速攻が十分に通用することは、ハリルホジッチ監督自身が直近のW杯でアルジェリアを率いて、優勝したドイツを延長戦まで追い詰めることで証明しています。

 ただ、最近は新しく召集された選手も多く、堅守速攻の指導を受けている選手も少ないので、本来のハリルホジッチ監督の戦術で戦うことは不可能と言えるのだと思いますが、だからこそ、なぜ招集が二日前だったのか大いに疑問が残ります。

 W杯出場のためにもUAE戦は非常に重要なゲームで、勝ち点3が必須で、尚且つ大量点で勝利することが望ましかったのだと思います。実際にUAEには敗れていますし、アウェイで勝利したことは一度もないことから決して楽な試合ではなかったはずです。また、新しく召集された選手にハリルイズムを浸透させ、W杯に近い環境で戦える貴重なゲームで堅守速攻を固めていくためにも、1週間位の合宿は必要だったのではないかと思います。

 招集の時期を決めるのは日本サッカー協会であって、ハリルホジッチ監督ではありません。サッカー協会は本当にW杯に出場したいと思っているのか、W杯で勝ち進むことを望んでいるのか、正直に言ってそういった熱意を全く感じません。

 これは全くの憶測に過ぎないのですが、サッカー協会が独自に資金運用をしていて、昨年世界経済の不安定さから円高株安に陥った際に、多額の損失をだすことで財務状況が悪化し、資金の問題で長めの合宿の日程を組むことができなくなっているのではないかという疑念を抱いています。

 なぜ招集が二日前だったのか、また現在の財務状況を含めて、日本サッカー協会にはしっかりと説明していただきたいと思っています。

侍ジャパンの選手たちの活躍について

 今回のWBCは過去の大会と比べても最もレベルの高い大会で、アメリカと互角の試合ができたことで過去最強のチームだったのではないかと思います。

 打線は史上最強であることは最初からわかっていましたが、やはり、滑るボールと硬いマウンドに適応するのは難しく、かなり点を取られるのではないかということも予想していました。今回の成績は乱打戦をどれだけ制することができるかにかかっていると思っていたのですが、打線は水物と言われているので、これだけ勝ちを重ねられるとは思っていませんでした。  ここまで強いチームになれたのは、一人一人が本気で世界一を目指し、一丸となって相手に立ち向かうことができたことに尽きるのだと思います。それには小久保監督の存在が非常に大きかったのではないかと思います。

 私自身、監督経験のない小久保監督の謎の選手起用、采配には大きな疑問がありました。ファンの多くも勝てば選手を賞賛し、負ければ小久保監督を戦犯扱いする風潮があったのだと思います。そのような厳しい立場に追い込まれながらも矢面に立ち、それでも選手一人一人を気遣う姿に「この監督のためにも世界一に」という機運が、選手たちの間で非常にいい形で高まっていったのだと思います。短期決戦を勝ち抜いていくためには結束力や雰囲気というものが大切で、壮行試合で全くいい結果に恵まれなくても泰然自若とした態度を崩さなかった小久保監督を、選手たちも頼もしく思ったのではないでしょうか。

 ジャパンの選手がこれだけ強くなれたもうひとつの理由は、やはり統一球にあるのだと思います。統一球が導入された年には反発係数が非常に低く、メジャーの公式球よりも弾まないと言われていました。それは今も変わってなくて、ある番組でWBC公式球と、統一球を同じ位置から落としたところ、WBCのボールのほうが遥かに弾んでいました。統一球が導入されてから6年間で、強い打球を打つ技術が多くの選手に身についていったのだと思います。それが今回の世界屈指とも言える強力打線につながっていったのだと思います。

 ただ、アメリカと対戦した時には残念ながら打線が機能したとは言えなかったのだと思います。世界最高の投手が次々と登板し、おそらくメジャー打線でも打ちあぐねたことは間違いないのだと思いますが、ストレートと同じ速さで大きく変化する、いわゆる「動くボール」を初見で打ち崩すということはまず不可能だったのではないかと思います。

   統一球とメジャーのボールの違いは滑る滑らないといった特徴だけではなくて、大きさや山の高さの違いも非常に大きいのではないかと思います。大きくて山の高さが違うことで空気抵抗が非常に大きくなり、変化球の曲がりが大きくなると言われています。メジャーのような滑るボールにすると、ケガをする投手が増えるおそれがあることから、導入には慎重にならざるを得ないのだと思うのですが、大きさや形状を同じにしてもそんなに大きな問題も起きないのではないかと思います。

 東京オリンピック、次のWBCを見据えて、ボールの形状をメジャーのボールに合わせるべきなのだと思います。そうすることでメジャーの投手と同じ様な変化球を投げる投手が多く現れて、そのボールを打つための技術が多くの選手に身に付く可能性は十分にあるのだと思います。是非とも検討していただきたいと思います。

 侍ジャパンの選手の活躍には大いに心を動かされました。今回の大会での活躍は東京オリンピックにも間違いなくつながるのだと思います。初めての金メダルを目指して、更にレベルアップした最強の侍ジャパンが見られると確信しています。

森友学園と自民党議員の関係を明らかにすべき

 森友学園の元の理事長である籠池泰典の行動は知的犯罪者に近いと言えて、補助金の過剰受給、小学校認可獲得のための数々の虚偽報告に対して刑事責任が問われるべきなのだと思います。

 16年前の塚本幼稚園のでの挨拶では、現在のような病的とも言えるような偏った発言はなく、普通の教育者だったのだと思います。籠池氏の、目的達成のためには不法行為も厭わないといった姿勢からすると、教育方針が大きく変わったのは彼の信念というよりも、実利目的だったのではないかと私は考えています。

 自民党の極右とも言える人々の理想は、戦前の国家体制であると言っても過言ではないように思います。戦前の国家体制は、極端な言論統制が可能で、あらゆることを国家機密にでき、国民の自由、権利を制限し、財産を奪い、命すら自由にできる、権力者にとっては理想的な体制と言えるのだと思います。このような国家体制を根本から支えたのが、教育勅語を基本とした軍国教育だったのだと思います。

 戦前のような、権力者にとって夢のような体制を作るには教育は不可欠で、自民党極右派の議員の目には、籠池氏の教育方針は極めて魅力的に映ったのだと思います。

 本来国会議員に様々な便宜を図ってもらうには政治献金は欠かせないのだと思いますが、教育機関で戦前のような指導をすると言えば、戦前を理想とする議員が、籠池氏に対してほぼ無償で様々な便宜を図ったことは容易に想像できます。そのような便宜が図られていなくても、「国会議員の誰々と懇意である」と言うだけで、多くのメリットがあったことは間違いないのだと思います。これに味を占めた籠池氏は、その教育方針をエスカレートさせると同時に、自民党内での人脈を次々と広げていったのではないでしょうか。

 今名前が挙がっているのは安倍昭恵氏、鴻池祥肇元防災担当大臣、稲田朋美防衛大臣だけですが、他にも多くの議員との親交があったことが疑われます。安部総理は非常にガードが固いので、関与の可能性は極めて低いように思います。そこでガードの甘い昭恵夫人をターゲットにしたとも考えられるのだと思います。

 森友学園の財務状況の変遷、各行政機関とのつながり、自民党議員との親交を全て明らかにするべきだと思います。そこに更なる不正が隠れているおそれがあることは否定できないのではないでしょうか。

根拠のない推測に基づく日本の原子力政策の危うさと罪

 日本の原子力政策は、すべて「~だろう」という極めて楽観的で不確実で、なんの根拠もない前提のもとに進められてきたのだと思います。

 福島の事故も、「震度7の地震は起きないだろう」「10メートルを超える津波は起きないだろう」「補助電源が全て停止するという事態は起きないだろう」といったことが、確定している前提で進められていたために起きた人災なのだと思います。

 しかし、東日本大震災でこれだけ多くの尊い命が失われ、多くの人がいまだに元の生活に戻れない状況にあっても、その姿勢は基本的に変わっていないと言えるのだと思います。

 汚染水が海に流れ込むことを防ぐための凍土壁は、最初から緊急用のもので、長く効果を維持することができないどころか、最初からなんの意味もないおそれがあることが分かっていながら、なんの根拠もなく「これでうまくいくだろう」という前提で進められ、実際にうまくいっていません。

 6年経っても溶け落ちた燃料がどこにどのような状態にあることすらわからず、その燃料を取り出す方法すらないのに、「いつかそのような技術ができるだろう」という極めて楽観的な見通しのもと廃炉計画が進められていて、世界の英知の粋を集める努力すらしていません。

 貯蔵プールに保管してる使用済み燃料ですらその取り出し方法はなくて、取り出したところで処分する場所すらないという状況で、どうして事故処理、廃炉が進められると思っているのか、正常な判断力があるとは到底思えません。

 廃止が決まっている「東海再処理施設」では、貯蔵プールに使用済み燃料の入ったステンレス製の容器が無造作に投げ込まれているような状態で、その映像を見た時には北朝鮮の核施設での研究者の話を聞いた時と同じような衝撃を受け、目を疑いました。「この映像は本当に日本なのか」としばらく信じることができませんでした。

 日本の原子力政策は一事が万事で、安全に対する姿勢は未開の独裁国家と同等レベルと言っていいのだと思います。そこに北朝鮮やナチスのような人の命を命と思っていない冷酷さや、放射線が目に見えないことから、その恐ろしさを理解できない幼稚さを感じるのは私一人ではないはずです。

 今、飯舘村が年間の放射線量が20ミリシーベルト程度になったことから避難指示が解除されることになっていますが、放射能の恐ろしさが分かっていないのか、わかっていて放射能による被害者が出ても構わないという冷酷さからなのか、どちらにしても人道的とは言えない措置がとられようとしています。

 20ミリシーベルトというのは、緊急時、つまり長くても数ヶ月の基準であって、これが10年、20年、30年と毎年この量の放射線を浴び続ければ、問題が起きないとは決して言えないのだと思います。原爆による被爆者の症状を見ても、放射能への耐性は非常に大きな個人差がありますし、年齢によっても大きな差があるので、その影響が一定以上の人に出てくるのは間違いないと思います。特に子供に対する影響を考えると恐ろしくて仕方がありません。いままでこのような措置を取った国が存在しないことから、長期的大規模人体実験と言ってよくて、放射能による被害者が少なからず出るおそれがあることから、ナチスとなんら変わらない非人道的行為なのだと思っています。私は国連人権理事会で取り上げてもらいたいと考えています。

 原子力政策に関しては、最終処分場がないという一点で、既に袋小路の状態にあるのだと思います。地震大国で降水量が非常に多い日本には、最終処分場に適した土地はないと断言できるのだと思います。これだけの重大事故を起こしてその被害は太平洋にも広がっていて、日本一国の話では済まされない状況の中で、「~だろう」という不確定な前提で進めていい政策では断じてないと強く主張したいと思います。

 今回の東芝の大失態を見てもわかるように、原子力は決して安い電源ではなく、リスクばかりが大きくて衰退の一途をたどることは間違いありません。もう一度立ち止まって原子力政策を考え直すということをしなければ、大震災で失われた多くの命が無駄になってしまいます。多くの尊い犠牲に意味を持たせ、「あの時に大勢の人たちが亡くなられたけれども、そのおかげで日本の禍の種が取り除かれてよかったね。」と後世の人たちに感謝されるような決断を今の私たちが下す時が来ていると思うのですがどうでしょうか。

 多くの方々の死を無駄にしないために

 6年前の3月11日に多くの尊い命を奪う大災害が起きました。これは自然が起こすことでこれ事態を防ぐ方法はなかったのだと思います。しかし、大地震直後の津波への対応の誤りが大勢の死に繋がったことは否定できません。私は、東京都下に住んでいて、津波の心配は一切ないところに住んでいますが、1993年の奥尻島地震の記憶がいつもあって、多くの命が失われたこと、車に乗って命からがら津波から逃げた人の話など、この地震に近い状態が東北各地でも起きることがわかっていました。津波の情報に触れたときは既に10メートルの津波の第二波が来ている時で、とにかく安全な場所に逃げてほしいと祈っていました。

 ところが津波の現場にいたサンドウィッチマンのふたりの話を聞いて耳を疑いました。ふたりがスタッフに促されて高台に避難するとき、市場の人たちにも逃げるように言ったところ、皆彼らの言うことは聞かずにそこに留まり、ふたりは高台の上から多くの人が津波に流されるのを見ていたとのことでした。

 奥尻島地震から20年も経っていないことから、その状況を知っていた人は大勢いたのだと思います。私が住むところには津波が来るおそれはありませんが、津波の情報にはいつも注意を払っていますし、大きな地震が起きればできる限りその後の情報に耳を傾けるようにしています。あれだけの地震があってラジオ、テレビ、インターネット、スマホと情報を取り続けるのは容易なことで、たとえ最初に津波の情報が誤っていても、その後すぐに正しい情報が流れていたはずです。亡くなられた方々を非難するのは忍びないのですが、そこに大きな全く根拠のない慢心が広がっていたことは否定できないのだと思います。

 サンドウィッチマンのふたりのようにすぐに避難をしていれば、助かった人は大勢いたのだと思います。このような大きな災害では、犠牲者が出るのは当然ですが、これだけ多くの犠牲者を出してしまったのは、人災である側面は否定できないのだと思います。福島の原発事故も、日本が地震大国で、巨大津波が何度も襲っている事実から目を背けた結果なのだと思います。また、その後の対応も普段の訓練が全く生かされず、SEEDIの情報が活かされないことで多くの人が被爆しました。事故が起きないという過信から事故の対応がまったく準備されていなかったことで、事故の深刻さが日を追うごとに増していき、いまだに収束の目処も経っていません。それでも政府は原発事業をさらに進めようとしています。

 喉元すぎれば熱さ忘れると言いますが、日本人はその傾向が強すぎるのだと思います。歴史を学ぶことは大きな過ちを二度と繰り返さないための人類の知恵なのだと思います。東日本大震災はいまだに12万人以上の方々が避難生活を余儀なくされている現在進行形の災害なのだと思います。それなのに他の地域、復興の主体者である政府にさえ、もうすでに風化の兆しが見えているのは異常な光景としか言いようがありません。

 同じ間違いを二度と繰り返さないために、われわれ国民、政府があらゆる知恵を絞ってこの事実を永遠に残していく努力が必要なのだと思います。それが多くの人の死を無駄にしない唯一の方法なのだと思います。そして、一刻も早く避難をしている人が正常な生活に戻れるように、復興計画を一からもう一度考え直す時期が来ているのではないでしょうか。

森友学園の問題に関して

 森友学園の問題に関しては大きく4つの問題があるのだと思います。

 まずひとつめは、森友学園に対する常識的とは言い難い価格での国有地の譲渡に安部総理が関与しているかという問題ですが、これは安部総理の関与はないと言えるのだと思います。現時点で安部総理が関与したという証拠が一切ないこと、また、祖父である岸信介氏から受け継いでいると思われる自身の政治生命に関わる危機管理が他の議員と比べて徹底的であることから、この案件に関わってる可能性は極めて低いと私は考えています。

 ふたつめは、総理夫人である安倍昭恵氏が当該の小学校の名誉校長に就任していたことですが、森友学園が経営する塚本幼稚園での教育方針があまりにも偏っていて、政治的活動を制限する教育基本法に抵触しているおそれもあり、尚且つ保育園での虐待の疑惑もあることから、総理夫人の行動としてはふさわしくないことは明らかなのだと思います。しかしながら、このことが直接内閣支持率に影響することはないのではないかと思います。

 みっつめは、国有地の譲渡における財務省がの対応が適切であったかどうかという問題です。国有地の売却に限らず、国の売買や賃貸などの契約では、原則競争入札になっていて(会計法第二十九条の三)、今回のような随意契約は、「緊急の必要により競争に付することができない場合及び競争に付することが不利と認められる場合」に限定されています(会計法第二十九条の三第四項)。ここで、「緊急の必要」というのは人命に係わる場合、国の外交問題に関連する場合などの国の事情であって、小学校の開校に間に合わないといった相手側の事情は二の次となります。財務省の佐川理財局長は「府、市からの要望がないなか、森友学園から要望があり、法令に基づいて適正に随意契約を始めた」と答弁しましたが、法令といっても財務書が独自に制定した政令に基づくもので、政令は国会で制定する法律よりも下位にあるため法律の方が優先されます。この政令は財務省が独自に制定したもので、国民の資産が安価で売却されることを促し、政治関与を容易にするためのものである疑いもあることから、なんの目的でどのような経緯で制定に至ったのかも国会の議論の中で明らかにすべきだと思います。

 最後は鴻池祥肇参院議員や他の議員による政治関与が疑われていることから、森友学園理事長である籠池泰典氏を始め財務省の当事者たちの参考人招致を野党が要請している問題です。これは共産党が主張しているように刑事事件になれば地検の捜査に委ねることになるので、その前段階での疑惑の究明のためや、籠池氏が鴻池氏に現金を手渡そうとしたことは明らかなことから、一般人といえども参考人としての招致は適切なのだと思います。少なくとも当時の財務省の関係者の参考人招致は当然行うべきで、場合によっては証人喚問も視野に入れるべきなのだと思います。

 籠池氏に関しては、国や自治体への虚偽報告、補助金の詐取の疑いもあるので、小学校の認可の取り消しのみならず、幼稚園や保育園の認可の取り消しも検討していくべきなのではないでしょうか。

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